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好みの男、三宅純   

2010年 05月 16日

 フリーペーパー『Dictionary』で読んだ文章が気になり、音楽家だというので聴いてみたら、あまりに素敵すぎて惚れてしまった、三宅純さんがさっき5分くらいの番組に出ていた。

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(関係ないけど、今日の吾妻山公園山頂、光と影)



 その文章は、「エコロジーについて何か気をつけていること」というような質問に対する答えだったのだけど、うろ覚えながら大まかには、文明社会にいて電気を使って音楽を作っている自分は環境を破壊する側でもあって、エコロジーを声高らかに叫ぶことにはいささか戸惑いがある、というようなことだったように思う。

 以前、「環境への祈り」というようなワークショップに図らずも出ることになり、一人一人祈りの言葉を述べていく、ということをやったことがあるのだけど、それがあまりにも「誰か悪い人たちが環境を壊し続けていて、そんなことは私には信じられない」という趣旨のことばかりだったので、ちょっと気持ち悪くなってしまい、「私は安い服や安いスーパーで買い物するのも大好きです。私は環境を壊しています。私の中にそのような何かを壊していく要素がどうしようもなくあって、それと向かい合うことでしか環境に対して誠意をもつことはできない」と述べて、空気を少し乱した経験のある私には、三宅純さんの答えがとても素敵なものに感じた。

 かといって何もしなくてもいいか、という問題はまた別においといての話だけどね。


 それで、音楽がまた相当かっこいい。


Stolen from Strangers

JUN MIYAKE / ビデオアーツ・ミュージック



 よく晴れたハッピーな日には全然似合わないけれど、自分の中の影の部分と向き合ってる時に聞くのが一番沁みるし、何度も救われてきた。

 昨年急逝したピナ・バウシュの舞台『Vollmond』を観に行ったとき、思いがけずこの中の一曲が流れてきた時には、ダンスの内容とあいまって泣けてくるほどだった。

 ピナ・バウシュのダンスとも共通するけれど、私を揺さぶる三宅純さんの魅力は、自らのうちにあり人間全体がもっている醜さや弱さを、ちょっと哀しげな目で、でもどこか可笑しみをもって見つめつづけていることにあるように思う。



 パリに住んでるというのも魅かれるポイントなのかも。
 すごーくパリの似合う人。


 しびれるわあ。