ながれ   

2011年 03月 17日

 3.11地震の後、強い恐怖を感じていた。
 神奈川には家族も親戚もいない。
 何かあったら1人で判断して逃げなければならない。

 余震の続く中、その緊張感から体がこわばり、冷え、すくみ、凍りつきそうになっていたが、とにかく温かいものを食べ、避難用品の準備などできることをひとつひとつやり、恐怖に対して自分が無力でないことを行動を通して確認していった。

 それに、不安や恐怖があっても、よく体と心を感じていくと、必ず大丈夫な部分もある。
 そこを感じていると、とどこおったものが流れ出し、あたたまり、ゆるむのを感じることができた。

 折よく地震前に受けていたソマティックエクスペリエンス(トラウマに対するアプローチ)のセッションでの体験が、「大丈夫な部分を見つけてフォーカスすること」「緊張や不安・恐怖を与えるものからは自ら遠ざかることができる、決して無力ではないこと」「怯えている内なる子供のそばで、触って共にいること」「欲しいものに向けて手を伸ばしていいのだ、と自分に許可を与えること」などを自然に導いてくれた。

 不安な中、最も必要としたのは誰かと一緒にいて、話したり笑ったりして、恐怖も希望も分かち合うことだった。
 それで、できるだけ近くの友だちと一緒に過ごし、恐ろしいニュースも一緒に見て、なんだかんだと話し、笑い、そして手間をかけた美味しいご飯を食べた。

 その友だちに泊まっていってくれないかと頼むと、別に暮す一人暮らしの母親が心細いだろうから、と夜中には帰っていった。

 その翌日、「興部に帰りたい」と朝目覚めた時に思った。

 朝のひらめきはだいたい信用しているのだけれど、この時は迷った。
 それが恐怖から生まれた願いだったら、何か違うな、という思いがあった。
 原発の不安、そしてそれ以上に東海地方に大地震が連鎖的におきるのではないかという不安。

 この願いがどこから来ているのかを確認するのに、2日かかった。
 凍りついては大丈夫な部分を感じ、ということを繰り返していると、ふと腑に落ちる時がきた。

 私は恐怖から帰りたいのではない、家族に会いたいんだ、と強く感じていることがわかった。
 もちろん恐怖も不安も存在している。そう自分が感じる不快な場所から、安心できる場所へ移ることは、自分を大切にすることだ、と納得した。

 その願いは、今、地震があったから生まれたものではなくて、もともと持っていたのに何かのちからで強力に抑え込んできたものだ。
 地震の揺れが、心の地中奥深くに眠っていたその宝物を、地表面まで押し上げてきてしまった。

 これはもう観念するしかない。
 それが大事な宝物だったと認めるしかない。
 家族というものの持つ、愛しさも悲しさも、様々な形に見えてくる全ての現象を、透き通る目を保って、見つめるしかない。

 さっそく、その作業に痛みと悲しみ、不安や恐怖を感じている。
 でも必ず大丈夫な部分があるはずだ。
 安心していていい部分にフォーカスして、自分の中の小さな子供とともにいて、安心と安全を守りながら、そこにあるものを見つめる。
 地震が教えてくれたやり方が役に立ちそうだ。

 これが、地震が私に与えてくれたミッションだ。

 看護師でありながら何もできない罪悪感、被災してもいないのにいち早く関東を離れた罪悪感などを見つめながら、強くそう思う。

 私は私のできることを。
 心と体が望むことを。

 心を込めて日々を過ごします。


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