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Halo   

2010年 06月 27日

最近の私的ハナうた登場率ナンバーワン、ビヨンセの『Halo』。

haloって月の暈(かさ)とか、光の輪とかいう意味らしい。
PVのビヨンセもきれい。






なんだかこの歌が気になる今日このごろ、歌詞も調べてみたらいい感じ。
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サッカー日本代表ばんざい   

2010年 06月 27日

 オランダ戦が終わるまではワールドカップが始まっていたことすら知らなかった私、デンマーク戦の深夜3:30になぜか目覚めてしまったので仕方なく見たゲームで、まんまとはまってしまった。

 見始めるといきなり本田のゴール!

 またすぐ遠藤のゴール!!

 すごいっす!!!

 最後の本田のアシストで岡崎がゴールして、岡崎がにっかにかに笑う顔と、本田と抱き合う姿。

 美しいっす!!!

 GK川島の全身からエネルギーみなぎる様子もほれぼれしてしまった。



 ゲーム終了後、踊り喜ぶ選手たちの中に本田がいない様子にも何か心に響くものがあった。
 
 きっと、彼は勝つことは信じていたし、どこかでわかっていたのだろうと思う。やっぱりねって。そしてこれがゴールじゃないことも、まだまだ出せる力があることも。

 喜びのエネルギーをただ放出するのではなくて、集中や闘志のエネルギーに変換して保持して高めていこうとしているのかな、と感じた。

 エネルギーの使い手として、こいつはただもんじゃないぞー、きっと。
 本田のとてつもない自分を信じる力、相手を信じる力がチームの選手にもいい影響を与えているんだろうな。

 そしてそれを感じ取って起用した岡田監督も、ただもんじゃない。
 サッカーのセオリーとか既成概念を取っ払って、見えている何かがたぶん2人にはあるんだろう。

 岡田監督が日本中のバッシングに耐えたエネルギーも相当なもんだ。
 抵抗を受け、自分の失敗をも背負うことを自ら選択するという凄みは、政治家がもっていてほしい資質だなーとふと思う。

 そんな責め立てられる状況の中で、右脳をつかって直感に従い、戦略を立てられる凄さ。
 岡田監督の中の静寂の力を思う。



 デンマーク戦で勝った朝、仮眠をとると、こんな夢を見た。

 伊勢神宮の近くのホテルに泊まってチェックアウトしようとすると、フロントが本田(!)。
 「いい声っすねー」
 となぜか褒められる。
 
 1泊の予定が2泊になったけれど、彼の請求した金額は1泊分だけだった。
 そのことには彼は触れず、あの気迫あふれる眼で握手してくれ、
 「気をつけて下さい。良い旅を!」



 すっかりファンになった本田に勇気をもらい、その日の朝は遅刻ギリギリだったけど、「日本代表のように、不可能を可能にするんだ!」という一心で駅まで走り、見事遅れず出勤できたのでした 笑。


 
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ベイツメソッド   

2010年 06月 26日

 ともだち田辺くんが勉強しているベイツメソッド、いまうけているモニターセッションが相当おもしろい。

 視力回復のための方法論らしいけど、目をリラックスさせるエクササイズをやってみると、ものの見え方だけじゃなくて、関わり方、身体の姿勢まで変わるのを感じる。

 小さな出来事をつきつめたり凝視しすぎる傾向のある私(オーバーフォーカスというらしい)は、凝視に疲れて一転、いきなりなーんも見ないしやらないもんねー!(アンダーフォーカス)となる。視野の一部にフォーカスしすぎず、視野全体に気づける状態だといいんじゃないかなー、というのが学びの一つ。

 パーミングという目をリラックスさせるエクササイズをやってあさ二度寝したら、まどろみの中で最近気になってたあることが腑に落ちたりもする。
 ゆっくりまばたきをするだけでも眼の緊張がぐっとゆるんで、眼だけじゃなく身体全体がリラックスするのを感じる。



 タイムリーにも、タオゼン大内さんは最近のブログで「ゆっくりまばたきをしよう」と書いているし、よしもとばななの最新小説アナザー・ワールドでも、「視界を広げるには目に力が入っていてはいけない、見ようとして力が入ると狭くなってしまう」と書いていて、彼らは目の使い方が、ただ在る、ただ生きるという状態とつながっていることを、ちゃんと知っていることがわかる。



 先のことを心配して、自分で何かを決断しなきゃとか、根回しや準備をしようとすると、とたんに不安がやってくる。そういう時、ふと思い出してセッションで教えてもらった、周辺視野への意識の仕方をやってみると、不安や問題は姿を消す。ほんとうにかんたんなことだ。
 からだの疲れさえも、少しやわらぐ。不安や悩みがいかにからだに重みを与えていたかもわかる。
 そしてその根っこは、ものの見方にある。


 先日、いつもよりはっきり見えたから、コンタクトをしないで仕事をしてみたら、自分のまわりしか見えないからマイペースで仕事できるものの、一緒に働く人たちが見えないせいで、まったく気遣いができず、気遣おうというきもちも湧いてこなかった。
 自分の世界だけに閉じこもってる感じで、こりゃまずいなーと思って、午後からコンタクトしてみたら、こんどははっきり見えすぎるせいで、気を遣いすぎる。必要以上に周りの期待に答えようとする感じ。

 実は私は、はっきり見たいという欲求をいまのところ持ち合わせていないのだけど、これから1人でやりたいことをやる、というだけじゃなくて、周囲の世界ともっと関わりあおうとしているんだなあ、と感じた。

 裸眼で周りにじゅうぶん気付いていて、自然に人や世界と調和して生きたい、と思う。



 最近は、コンタクトをするのがいやになって、裸眼か眼鏡ですごしていたからか、今日コンタクトレンズで過ごしてみたら、感覚が自分のものじゃなくなるような感じがはっきりわかった。自分の直観や判断を信じられなくなって、人の言うことの方が正しいような気がしたり。

 もともと、見たくないものを見ないようにするために、自分自身が視力障害というものを作ったというのがベイツの考えだそうだけど、これにはとても納得する。

 裸眼でいると、日によってよく見える日とすごくぼやけて見えない日があるのがわかってきた。そしてそれは、世界を「よく見たいか」、自分の世界以外は「見たくないか」ということとイコールでもある。

 自分の無意識が、世界を見たくないという理由から設定している「視え方」を、眼鏡やコンタクトレンズでむりやりよく見えるように強制することは、まだそれほど受け取る準備のできていないクライエントに過大な量の情報をインプットするセラピストのようだ。

 コンタクトをするという選択はこの場合自分がしているので、そのセラピスト役もクライエントも自分自身だ。

 いつも、自分に何かを強いているのは自分だ、というこの発見は、とても興味深い。

 私は強制されることが大嫌いなクライエントなので、幸い強制のないセラピストにこれまで恵まれた。

 自分で自分をケアしたり育てようとして、自分自身のセラピストとなるとき、彼らはとても良いお手本になる。
 どんなにわがままで自分勝手で考えなしでダメダメでも、そばにいて、OKと言う。


  
 ベイツメソッド、視力回復という目に見える効果だけでなくて意識の変化をもたらしてくれる、可能性のあるセラピーだと思う。
 
 これからもすすんでいくセッションを受けるのが楽しみだ。
 
 


 
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脱皮   

2010年 06月 24日

こんなふうにずぼっっっ!と脱ぎたいよねー

きもちよさそー!

http://www.enosui.com/shortmovieentry.php?eid=00049&exhibition=2
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祈り   

2010年 06月 23日

ああ あなたの御足の埃の上に

わたしの額をぬかづかせてください

わたしの思い上がりをことごとく

わたしの涙の中に沈ませてください

わたしは自分をいたずらに誇って

自分をただ貶め、

ただ自分の廻りを

たえずぐるぐる巡って苦しんでいるだけです

わたしの思い上がりをことごとく

わたしの涙の中に沈ませてください



わたしが物事を行うとき

わたし自身を顕わにしませんようにーー

ああ わたしのいのちの中で

あなたの御心を成し遂げてください

ああ あなたのこの上ない静けさをください、

わたしの心にあなたの至高の輝きをください、

わたしの心の蓮華の花びらの中に

わたしを包んでお立ちください

わたしの思い上がりをことごとく

わたしの涙の中に沈ませてください



ラビンドラナート・タゴール『ギーターンジャリ』(伊藤晋二 訳)




今月のエネルギーの学校で、ユキさんから祈りについてのお話があった。

今朝、とつぜん伊勢神宮のお札がぱたっと落ちてきたので、ああ、委ねることを忘れてたなあと思って、自分の言葉でお祈りをした。

もういらないことを手放して、大事なものを受け取ることができるように。
そのふたつのことを見分けることができるように。

そんなことはとっくに忘れてお出かけして運転中、心からほっとする感覚が訪れて、身体の力が抜けた。
頭で望んでいたこととは逆のことが、心がほんとうは望んでいたことだったらしい。

かっこ悪い姿をみせなきゃならないなあ、とか、
完璧に負けだなあ、とか、
恥ずかしいからどうやったら勝ったように見せかけられるかなあ、とか
いろいろ考えたけど、

ここは気持ちよく負けましょう。

あるべきものはあるべきところに。
やることをただやって、主張することは主張して、必要な責任は果たして。


「元(はじめ)を元とし、本(もと)を本とす」

伊勢の倭姫宮でおしえてもらった言葉を思い出した。



ああよかった。お祈りしてよかった。
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ツイッターでさえずってます   

2010年 06月 07日

なんか思ったことを外に出したいからブログをやっているけど、最近はブログよりツイッターで書いてます。てきとーに。

http://twitter.com/

なんか、ブログだと「日記」っていう、一応形になったものを提示するみたいな気構えが必要で、その中には起きた出来事をなんとなくよかった、悪かった、これは大事だとおもった、みたいな判断を含めてしまいがちだけど、ツイッターはそれをしなくてもいい感じがするので、無責任に言いっぱなしでほっとける。

なので、これを読んでくれてる人、よかったらツイッターでフォローしてね。

ちなみに、tweetは「つぶやく」と訳されてるけど、本当は「さえずる」という意味だそうです。

みんなでさえずろ〜。
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