きのう温泉で
2011年 06月 08日
昨日、しっとりとした曇り空の中、箱根の姥子温泉に、石巻で同じくボランティアナースとして来ていて知り合った友だちと行ってきた。
彼女とは、活動している避難所が違う場所だったにもかかわらず、支援する視点や姿勢が似ていたので、現地で共有できた時間はきっと数十分程度に過ぎない。それでもほんの少しの時間でめいっぱいしゃべり倒しコミュニケーションし倒し、思いを共有できた喜びを糧に、なんとかそれぞれの場所で活動をやりとげることができた、という仲間だった。
石巻のコンビニで彼女と偶然会って、10分や20分の間に、お互い史上初ではないかと思われるものすごい早口で、ものすごい量の情報量をやりとりして、ものすごい早さでわかりあったあの時間は忘れられない。
その彼女と、こんどは時間がものすごくゆっくりと流れる箱根の隠れ家温泉で、4時間くらいのんびり休憩しながら温泉に入ったりお散歩したりマッサージしたりしながら過ごしたのは、おもしろいもんだ、と思う。
時間はあきらかにのびたりちぢんだりしている。
そんなのんびりの時間だったけれど、やっぱり彼女と会うと石巻での出来事がたくさん思い浮かんできて、しゃべり倒したし、温泉に入るたび、マッサージ機でマッサージするたび、新緑のまぶしいみどりに心和ますたび、「ああ、こんな心地よさを被災した人たちに味わってもらいたい」と思った。彼女も同じように思っていたらしい。
神奈川に帰ってきて自分の生活にもどってからは、そういうふうにはぜんぜん思っていなかったのに、同じところを体験した彼女といるとそういう気持ちになるんだから不思議だなもんだ。
彼女は3回にわたって被災地に入りボランティアをしてきた。
彼女と話していると、私がいま抱えている思いがそれを体験した人に共通するもので、みんなが通る道なんだということがわかってきた。
ボランティアに参加したのは、何かをしたい、しなければという自分の思いを満たすためのものだったこと。
一度活動したあとは、その後の現地の経過が気になって、また参加したくなること。
活動中は自分の能力や生命力のようなものが格段に引き出されて、生きているという感じを濃く感じられたこと。
何度も、また長期間にわたってボランティアしている人の中には、そこに自分の「居場所」を見出して、そこにいる限りは満たされる、その感じを求めているように思う。
そこにいれば、求められることがあり、日常の何倍もの力を発揮することができ、人のために役立つことができ、それによって自分に価値を感じることができる。
何度もボランティアに参加してしまう、それを称して「石巻病」というふうにも言われていたけれど、私は、「石巻病」になるのがなんとなくいやだった。そこにしか居場所を見出せない人のような気がして。
活動を終えて避難所をあとにするときは、次にまた行くことは考えていなかった。この経験がどう自分の中で位置づけられるのか、それを丁寧に見ていこうとだけ思っていた。
神奈川に帰ってからの一週間、世界は色あざやかに見えて、生命力はもえたぎり、できないことは何もない気がする、という興奮冷めやらぬ日々を過ごした。
石巻の日々を思い返すこともあまりなかった。
それが、ふと少し体と心が落ち着いて、浮かび上がっていた空中から地面の方へ近づこうとした時に、無性に石巻が恋しくなりはじめた。
今思えば、浮かびつづけていたかったんだろうと思う。無敵なままでいたかったんだろう。
石巻に住み着くことさえ考えた。
もっている力が増幅されるあの感覚。
被災した人々が、あの苦しい状況でそれでも何とか生き抜くために、本能が呼び覚ましたあの心と体の状態を、感じつづけたいという強く願った。
自分は被災地で、あんなこともこんなこともできる、役に立てるはず、とも思った。あそこではできないことなんかない、と感じていた。それほど思いが現実化する速度が早く、パワーの強いところだった。
そんなときには、隠れていた自分の一面が表面に見えやすいように現れてくるのかもしれない。
あきらかに出続けていたアドレナリンレベルが下がってくるにつれて、あまり見たくなかった自分が見えてきて、落ち込んだ。
自分の力や価値を、自分で認めるのではなく、人に認めて評価してもらうことによって実感したい欲求。
それゆえに、自分をより大きく強く見せたい欲求。力み。
イコール、『そのままの大きさの自分を自分自身が認めていない』
その力みを、SEセッションで藤原さんが指摘してくれた。
人に認めてもらわないといられない、というその心の痛みを守ろうとする試み。
心の痛みや空虚さ、それを認めて。
それを隠そうとする自分の切ない試みもただ感じて。
そのように藤原さんは示唆してくれたのかもしれない。
彼女とは、活動している避難所が違う場所だったにもかかわらず、支援する視点や姿勢が似ていたので、現地で共有できた時間はきっと数十分程度に過ぎない。それでもほんの少しの時間でめいっぱいしゃべり倒しコミュニケーションし倒し、思いを共有できた喜びを糧に、なんとかそれぞれの場所で活動をやりとげることができた、という仲間だった。
石巻のコンビニで彼女と偶然会って、10分や20分の間に、お互い史上初ではないかと思われるものすごい早口で、ものすごい量の情報量をやりとりして、ものすごい早さでわかりあったあの時間は忘れられない。
その彼女と、こんどは時間がものすごくゆっくりと流れる箱根の隠れ家温泉で、4時間くらいのんびり休憩しながら温泉に入ったりお散歩したりマッサージしたりしながら過ごしたのは、おもしろいもんだ、と思う。
時間はあきらかにのびたりちぢんだりしている。
そんなのんびりの時間だったけれど、やっぱり彼女と会うと石巻での出来事がたくさん思い浮かんできて、しゃべり倒したし、温泉に入るたび、マッサージ機でマッサージするたび、新緑のまぶしいみどりに心和ますたび、「ああ、こんな心地よさを被災した人たちに味わってもらいたい」と思った。彼女も同じように思っていたらしい。
神奈川に帰ってきて自分の生活にもどってからは、そういうふうにはぜんぜん思っていなかったのに、同じところを体験した彼女といるとそういう気持ちになるんだから不思議だなもんだ。
彼女は3回にわたって被災地に入りボランティアをしてきた。
彼女と話していると、私がいま抱えている思いがそれを体験した人に共通するもので、みんなが通る道なんだということがわかってきた。
ボランティアに参加したのは、何かをしたい、しなければという自分の思いを満たすためのものだったこと。
一度活動したあとは、その後の現地の経過が気になって、また参加したくなること。
活動中は自分の能力や生命力のようなものが格段に引き出されて、生きているという感じを濃く感じられたこと。
何度も、また長期間にわたってボランティアしている人の中には、そこに自分の「居場所」を見出して、そこにいる限りは満たされる、その感じを求めているように思う。
そこにいれば、求められることがあり、日常の何倍もの力を発揮することができ、人のために役立つことができ、それによって自分に価値を感じることができる。
何度もボランティアに参加してしまう、それを称して「石巻病」というふうにも言われていたけれど、私は、「石巻病」になるのがなんとなくいやだった。そこにしか居場所を見出せない人のような気がして。
活動を終えて避難所をあとにするときは、次にまた行くことは考えていなかった。この経験がどう自分の中で位置づけられるのか、それを丁寧に見ていこうとだけ思っていた。
神奈川に帰ってからの一週間、世界は色あざやかに見えて、生命力はもえたぎり、できないことは何もない気がする、という興奮冷めやらぬ日々を過ごした。
石巻の日々を思い返すこともあまりなかった。
それが、ふと少し体と心が落ち着いて、浮かび上がっていた空中から地面の方へ近づこうとした時に、無性に石巻が恋しくなりはじめた。
今思えば、浮かびつづけていたかったんだろうと思う。無敵なままでいたかったんだろう。
石巻に住み着くことさえ考えた。
もっている力が増幅されるあの感覚。
被災した人々が、あの苦しい状況でそれでも何とか生き抜くために、本能が呼び覚ましたあの心と体の状態を、感じつづけたいという強く願った。
自分は被災地で、あんなこともこんなこともできる、役に立てるはず、とも思った。あそこではできないことなんかない、と感じていた。それほど思いが現実化する速度が早く、パワーの強いところだった。
そんなときには、隠れていた自分の一面が表面に見えやすいように現れてくるのかもしれない。
あきらかに出続けていたアドレナリンレベルが下がってくるにつれて、あまり見たくなかった自分が見えてきて、落ち込んだ。
自分の力や価値を、自分で認めるのではなく、人に認めて評価してもらうことによって実感したい欲求。
それゆえに、自分をより大きく強く見せたい欲求。力み。
イコール、『そのままの大きさの自分を自分自身が認めていない』
その力みを、SEセッションで藤原さんが指摘してくれた。
人に認めてもらわないといられない、というその心の痛みを守ろうとする試み。
心の痛みや空虚さ、それを認めて。
それを隠そうとする自分の切ない試みもただ感じて。
そのように藤原さんは示唆してくれたのかもしれない。