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インテグラル・ライフ・プラクティス   

2010年 09月 02日

実践インテグラル・ライフ―自己成長の設計図

ケン・ウィルバー / 春秋社



 思えば、ケン・ウィルバーの『無境界』を読んだのが、この世界(?)に入ったきっかけでした。

 当時好きだった人に、
「『無境界』を読む女…」
 と、半ば怖れられながらつぶやかれたのを覚えています。

 そのうち、この本の訳者だった吉福伸逸さんのワークショップに行くようになり、意識の探求を始め、「死を見なければ」となぜか思い立ち、北海道を出て幾年月、とても面白い日々でした。

 久しぶりにウィルバーの名前をふと聞いたので、本屋に立ち寄って今はどんな著作が出てるのかなーと見てみたのがこの『実践インテグラル・ライフ』です。

 ウィルバー本人は執筆していないのだけど、これまでのウィルバーの探求がもりだくさんに詰め込まれていて、しかも知的な探求に留まらずに実際の生活で実践できるよう、丹念に作り込まれています。

 伝統的な修行体系に含まれる瞑想や祈りも、最新の科学・栄養学に基づく食事や身体トレーニングも、読書や学習・対話や討論などの知的な探求も、そして近代心理学も、ぜーんぶ大きな地図にとりこんで、成長の欲求を満たそうとするのが、インテグラル・ライフ・プラクティス、だそうです。

 そうそう。

 知的な探求は好きだけど、それだけじゃない。逆に、純粋な意識を手にするためには不要なんじゃないかと排除しがちだった。
 瞑想、大事なんだろうけど、それだけでも足りない。
 心理療法やボディワークを受けると変容がおきてすごい!と思うけど、それだけが答えでもない。
 
 と思っていた私にとって、それら全てを見渡せる地図を手にすることによって、「あ、今やってるのは全体のうちのこの部分」という認識が可能になったのです。

 ひとつのことをやってみて「これだ!」と思ったはいいが、続かない自分…とちょっと引け目を感じていたのは私だけではないと思うのだけど、なあんだ、よかったんだ、とも思えました。
 たぶん、ひとつのことを続けていたとしても、続けて探求が深まることによって、広い視野を獲得していくのではないかとも思うけれど。

 
 おおまかには、「ボディ」「マインド」「スピリット」「シャドー」が4つのコア・モジュールになっていていくつかの実践内容が紹介されており、それぞれにおいて一つの実践を選び実践します。
 また、必要に応じて追加される付属モジュールとして、「倫理」「仕事」「人間関係」「創造的活動」「魂」もあります。

 英語版ですが、各モジュールの実践サンプルが図になっているのがこちら


 まだ全部はよんでいないのだけど、気に入っているワークが、「3-2-1 シャドープロセス」。

 シャドーとは、影、抑圧された無意識のことを表します。
 自分の中にある感情を認識することに脅威を感じると、それは自分のものではなく、誰かのもの、外部のものとして経験します。

 例えば、自分の中に感じている「怒り」を経験し、表現することを抑圧していると、自分が怒っているのではなく、「あの人が怒っている」「世界は怒りに満ちている」というふうに、何かに感情を投影するようになります。
 これはほんとにほんとーーーに、よくあることです。

 それ自体が悪いことであるということではなく、そういうふうに私たちはできているのであって、だからこそシャドーに光をあてていくプロセスは、生涯を通じて取り組むべきもの、というふうにも書かれています。

 それに、シャドーには否定的なものと肯定的なものがあって、怒りなどのネガティブなものを投影することもあれば、まだ自分のものとして認識し実現することができていない、潜在的能力を投影することもあります。

 そういうシャドーを統合するワークによって、自らの中に眠る能力を認識し、実現できるチャンスとなるとのこと。うんうん、ほんとにそうだ〜。

 これはやらない手はない!


 時間があったら、そのうちやり方をのせてみようかな。






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私の今日のシャドーワークの成果は…

「何かのきっかけで疼きだす、左腰の痛み」を取り上げてみました。
(対象は、やりにくい人や魅力や憧れを感じる人、嫌悪感や悩まされる夢のイメージや身体の感覚などでもいいそうです)


 「それ」と向き合ったり、対話したり、「それ」になってみる過程を辿ることによって現れてきた「それ」の本質は、


 「私は無力だ。だから、全てについて、誰かに全面的にお世話してもらう必要がある」ということを主張し、「十分にお世話してもらえないことへの怒り」を感じていました。


 ローエンの性格構造論でいうところの、オーラル的なトラウマというのでしょうか。

 私の表面的意識では「自立」ということにこだわっているところがあるし、結婚に安定を求める女性には違和感を感じていたのですが、実は「お世話してもらいたい、面倒を全面的に見てもらいたい」という欲求は、私のものだったようです。


 こういうプロセスを、短時間で、抵抗が少なくできる「3-2-1 シャドー・プロセス」はすごい!

 探求、楽しいな〜。