自我はいろいろしかけてくる   

2011年 02月 20日

自我=エゴ=思考
は、なんでも今あるものを失うことがいやなので、いろいろと巧妙にしかけちゃってくれます。

もしかしたら自分の奥の方にいる本質の「自己」(=源=ハート)はもういらないものを手放したがっているのかもしれないのに、自我はいろいろと理由をつけてきます。

自己に重心をおいていると、何を見ても、何かを得ても、何かを失っても、大丈夫だとわかります。

自我に中心がある時は、そういうわけにはいきません。
失う恐れが根っこにあるので、不安に基づいた計画を立てたり、何かを回避しようとしたり、今あるものをありのままに見たり感じたりすることができません。
何かを見たり感じたりしないために、他のものを見たり感じたりするようにすれば快楽は得られるけど、存在の底の方から沸き上がってくるような歓びはありません。

どんな恐ろしく思えることでも、またどんなに素晴らしく見えることでも、ありのままに見るとそれだけのものだとわかります。
不安、ああこういうものなんだな。
おそれ、ほっほー。中にいる時はつらかったけどねー。
美しさ、それは美しい。以上。


不安があっても、おそれがあっても、ハートにつながっていれば大丈夫。
そうしたければ、心おきなく揺れたり取り乱したりできるし、静かにその感情を見ていることもできる。



ハートの奥の源につながっていたい。
それが私の願いです。


そのために、死にゆく人とかかわるのが好きだったし、尊敬する人たちと知り合った。
彼らはどんな形であれ自己を実現している人たちで、その人たちと一緒にいるだけで自分も源に連れていかれていたんだと今わかる。

そのために、すべてのことがおきている。
私の願いを実現するために。


すべての出来事に、すべての人たちに、感謝です。